ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。セクハラ・パワハラ・モラハラのない社会へのささやかな一石を投じるために、療養しながら書いています。

庇っても助けても、利用だけされる

仲間と思って接しても の続きです。

手嶋さんは、自分が普段されていることへのヒアリングの席で事実であると認め「気にしてない」と言ったそうです。澤田労務CSR推進課長は、「本人が気にしてないと言ってるのだから」「やった方も冗談だと言っているから」と、暴言や暴力をふるっていた狐さんと竹目さんをなんら責を問うことはなく、私を空気読めない人のようにあしらいました。

しかしやった人たちの「冗談だ」も嘘ですし「気にしてない」も嘘でした。かれらは実際に手嶋さんを毎日パシリにしていたし、睨みを利かせて暴言やイヤミを突き刺していました。全然冗談ではなかったです。

また「気にしてない」と言う手嶋さんの行動は、気にしている行動でした。かれらのいない自由な所で時間稼ぎをして帰って来ていましたし、狐さんや竹目さんに怯え、因縁をつけられないようにないようにと色々と回避した行動をとられていました。そのせいで、私が代わりにしないといけない状況になり嫌な思いをすることがありました。

例えば、狐さんたちが材料検討会などの会合をする時に珈琲を淹れて出すという「お茶くみ」を手嶋さんがしていて、片半身が麻痺している彼にとっては、健常者がやるよりも苦労して何往復もしないといけないので、私が入社してからは一緒にするようにしていました。マイカップが決まっている人と、決まっていない人がいて狐さんはマイカップ、竹目さんは備品のカップ使用だったのですが、彼は、自分が狐さんや竹目さんに配らないで私が配るように、とても不自然な順番と動線で配っていました。

      


手嶋さんはかれら以外の人に配り、かれらのは私が持っていく状況になります。「それほどかれらと関わりたくないんだ、そうだよね」と思って私が持って行っていき、その明らかに意図的な行動は毎回続きました。私も本当はかれらに関わりたくなかったので、そうやって仕向けられるのがとてもいやでした。私がかれらのを運ばされないよう計らってついでみても、とても不自然な順番と動線で、あくまでも私が持っていくようにかれらの分を残して去って行きました。

また途中から、配膳をする時間になると必ずいなくなるようになり、必然的に私がすることになり、していました。コーヒーを出さないと手嶋さんは「お前なんしよっとかやん」などと狐さんや竹目さんに怒られるのは明らかなのですが、私がやるのがわかっているから、彼はいなくなっていました。

私は、本当はすごくいやでした。竹目さんに珈琲を出すのがいやでたまりませんでした。私は彼に関わらないように努めていましたが、どうしても関わらないといけない場面では、私がモノか空気かのようにふるまうなど卑小な攻撃を必ずしかけてこられ、いやな気持ちにさせられるからです。ずっとされてると、もう予測できるようになり必ず的中します。こういうモノ扱いいないようにふるまうというのは、私が彼にされた数々のいやなことを、ある人が一言で表してくれた言葉です。そしてこれはモラハラ加害者の典型的な嫌がらせの行為だそうです。

私は珈琲を竹目さんに出すことがいやでたまらず、手嶋さんがさりげなくとんずらするのもいやでした。

とうとうある日、「配膳の時間にはいて欲しい」と頼みました。彼は、いなくなるのはたまたま「偶然」だとしらばっくれましたが、わかっています。珈琲を持って行かなかったら彼は怒られるのですから、その時間帯に毎回いなくなるのは偶然ではありません。私が不在の日にはその偶然は決して起こりません。そういうのを偶然とは言いません。(彼のそういうずるさはみんな知ってました。私も知っていましたが、虐げられた者の処世術は責められないと思っていました。)

それとも、彼は自分が無意識にしている行動を自覚していないのかもしれません。彼の行動は、彼の本心を如実に物語っていましたが、本人は「気にしてない」と言います。

私は珈琲好きで、家に招いた人に豆を挽いて淹れて出すのは本来好きなのですが、材料試験室での珈琲配りは本当にいやでした。