ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。セクハラ・パワハラ・モラハラのない社会へのささやかな一石を投じるために、療養しながら書いています。

仲間と思って接しても

いつも、狐さん(熊谷)や竹目さん(竹下)に暴言や差別発言を浴びせられパシリにされ、解雇の脅し(狐さんと竹目さんにその権限はありません)を日常的にされていた手嶋さん(参照::強烈なパワハラと同調圧力)は、同じ障害者枠の私が入ると自分の立場を危ぶまれていました。彼は私に雑務仕事を教えてくれず、困ることが多かったです。脳性まひで、特徴的なひきずるような歩き方をいつもされていたのですが、私に仕事を教えずにまく時の歩き方は、非常に機敏なものでしたので「え?」と思ったものです。

私は、12回ぐらい契約更新をした彼が、法改正によりちょうど2018年4月の更新時に無期契約に移行できること(参照:I 無期労働契約への転換(第18条)-1 改正労働契約法のポイント)を彼に伝えると、彼はそれを望んだので私からも労務に伝え後押ししました。無期への移行は、申し出がないと自動的にはしてくれないからです。その折にも労務のN野さんに非常に不愉快なことを言われましたが、彼は無期契約に移行することができました。どうなったか彼に尋ねるまで、彼からそのことを私に言いにさえ来られませんでした。それは彼がなにより望んでいたことですが、「更新するのめんどくさいですから」などと言って、自分は大して望んでいないことを強調していました。

彼は、彼を虐げる人たちに媚びて、彼にやさしくして守る人に失礼なことをするということをよくしていました。私にもですし、時谷さんへの軽んじた失礼な態度もです。(参照:強烈なパワハラと同調圧力)大ベテランの時谷さんへのあまりにも軽視し侮った態度に、内心とても腹が立ったことがありました。それこそ「調子乗んなよ」でした。彼の行動を決めるものは、怖いか怖くないか、自分よりその場での立ち位置が強いか弱いかでした。そんな彼の浅ましさを好きにはなれないし仲間になれないですが、私にできることはしていました。


いずれにせよ彼は、心配せずとも辞めさせられることはないと私は思っていました。狐さんと竹目さんにその権限がないのはもとより、かれらには彼が必要なのです。虐げて自分の優位性を保つ対象が。人を下げて自分を上げる人は、下げる人を手放したがりません。手嶋さんはそのサンドバックとしての役割を担っていたので、かれらの解雇の脅しとは裏腹に、必要とされていました。


彼は、ボーナスが「は?これだけ?」とびっくりする程少なかったということをよく言っていました。C&Dカード(上司とのコミュニケーションカード)提出の時期に、なにかの会話の流れで私は「給与が少ない」と書いた(私の明細みたらわかるでしょう)ことを話し、手嶋さんも「そこに書いたら?」と私が言うと、そこにいた狐さんの目を気にして「僕が文句を言ってるみたいじゃないですか」「僕は全然そんなこと思っていません」みたいなことを言って急に取り繕っていました。

 
また、無期に移行した契約書の内容に、手嶋さんにとって不利益に間違っている細かな箇所(所定労働時間=7.5hを超えたら割増しのはずが、法定労働時間=8hを超えたらと誤記)があり、そこをちゃんと見つけて労務に言われていました。当然のことでそれでいいのですが、普段彼が周囲の人達に媚び示している態度とは矛盾していました。


人間として扱われない
に書いたように、私は彼に障害者用の就業規則や有益そうな情報をPrintOutして渡していたのですが、ある日私の子どもが風邪を引いたため看護休暇を午前中使って午後から出勤した時に、「有給以外に看護休暇が使える」「他の社員にはファミリーサポート休暇などがあるけど私たちにはない」などという情報を彼に話しました。すると、その場に狐さんや竹目さんがいたからか、「そういうこといちいち調べたりしませんから」と、誇らしげに言われました。

その発言は、そういう情報を提供する私を非難しているに等しくとても哀しい気持ちになりました。また勤続12、3年の彼は、就業規則を1度も見たことがないことを、なぜかドヤ顔で言われました。そのことは自慢にはならず、自らの無知蒙昧を露呈するものです。

しかしその態度は、ブリヂストンでは正しかったのでした。(参照:「雇ってもらっているという意識をもって欲しい」とCSR推進課長)彼はブリヂストンが恩着せがましく期待する障害者像のとおりでした。



私には1年生になる子どもがいたので入学式、授業参観、保護者会、家庭訪問などの行事がとくに4月には次々に立て込みました。これを有給消化していたら、有給がいずれ足りなくなって欠勤が出てしまう恐れがあり、その旨上司に伝え承認を得て途中で抜けたりしていました。有給の付与日数も、他の社員と違っていました。


そうすると、そのように勤怠処理しなくてはなりません。それで、どうするんだろうと試行錯誤している時に、手嶋さんに聞いてみたんです。すると狐さんや竹目さんの手前か「遅刻したことないからわかりません」とドヤ顔で言われました。とてもいやな気持ちになりました。

 私は同じ障害者枠の手嶋さんを仲間と思って、色んな情報を共有したり、自分にできることを彼にしたりしていましたが、彼の発言は私をいやな気持ちにさせるものが多かったです。仲間にはなれませんでした。


私はあの職場にいて、良心の行き場がないと思っていました。

良心に従ってしたことが、――それはいじめの空気に逆らうことでもありました――その人のためにした相手から、ことごとく傷つけられて返って来ました。藤田さんも同じでした。かれらは、虐げられている立場であったけれど、矛先が違う人に向けばその人をあっち側に立っていじめる人でした。

彼は、私が彼にしてあげたことも、全然望んでないことを強調して周囲(自分を虐げる人)に示しましたが、利用だけされました。彼の為になにかすると、彼にとっていやなことを私になすりつける行為で返ってきました。(参照:庇っても助けても、利用だけされる


私はあの職場にいて、爬虫類の中にいるみたいだと感じていました。

背筋も凍りつくような、冷たい人間関係。仲間という関係が、ない。

良心に従ってやったことが、伝わって温かい関係が生まれ仲間になるというのではなく、利用だけされて、彼のしたくないことやいたくない立場をなすりつけられて返ってきました。あの職場では、良心に基づくことをすれば自分に悪いことが起きました。


ここまで救いのない人間関係は、ブリヂストンの材料試験室が初めてでした。

 

    

 

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