ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。セクハラ・パワハラ・モラハラのない社会へのささやかな一石を投じるために、療養しながら書いています。

錯覚の蜜②

錯覚の蜜のちょっと安易な書き方が気になったので、補足です。

この記事で、艶玉君をこのようなglossyな写真で表現し 牛蒡君をこの写真で表現しました。

           

 

この表現は私の中のイメージではそのままなのですが、緻密ではないので補足します。

艶玉君が、一見このように見える訳ではないです。別に派手でも華美でもないし、好青年風です。

牛蒡君と同じようなタイプの外見的なくくりとなると思います。だから、私は最初見た時は

Mちゃんが好きになった相手として違和感なく、いい感じに見えました。タイプとしてはおおまかに同じに見えます。

でも会話を重ねると、彼は牛蒡君とは全く違っていました。

なのでこのイメージ対比は中身に対して用いたものであって、外見のことを差したものではありません。

洞察のフィルターを経た後のイメージ対比です。

また会話を重ねても、洞察力や感性に乏しい人には気づかない場合もあります。

実際にMちゃんは気づかなかったから彼にぞっこんになったのです。

 

というのも、DV加害者には一見好青年風で誠実そうで好感もたれるタイプの人がかなりいるということが、

被害者の声や、支援者の声、その方たちの著作の中でよく触れてあるのです。

すばらしい講演会の被害者女性も、その著書で言っていました。

いかにもしそうという風貌の人もいますが、こういったタイプが多いことは言われています。

ですから、あの対比画像には注釈が必要だと思いました。また、これも被害者や支援者から言われているのですが

加害者の「化け」が巧み過ぎて、最初に見抜くのは不可能だ、と。

本質を幾重にも包み隠して、その逆であるかのようにふるまう加害者がいます。

先の記事で、

「見せる為のものか、生き方からさりげなく出てきたものかの違いだと思います。」と書いたのですが

さりげなく出てきたものかのようにふるまう役者がいます。そこまで周到な演技をします。

ただ、本当にそうなのかは、矛盾でわかるものと思います。かれらは矛盾が多いのです。論理が互いに別方向に分裂します。

 

その矛盾を突いて、自滅していることに気づいていただけたらいいのですが、彼らは非常にあつかましく、

自身が論理破綻してthe end のGame over レベルに達していても、それを認めずやりたいことをごり押してくるのです。

彼らには論理などどうでもよく、力で屈服させる=暴力 の考え方で動いているだけですから。

私に退職強要したお2人もそうでした。かれらの論理が次々に反論されてことごとくかれらの論拠が崩れても、

「でももう決めたんで」「残念ながら」と言われました。ただの暴力です。ジャイアンと同じでしょう。

彼ら(吉田保証課長と澤田労務課長)がジャイアンに見えるかと言うと、全く見えません。

  

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狡猾な加害者への包囲網を社会に張り巡らせ、かれらの詭弁が通用しない世の中にしませんか。