ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。セクハラ・パワハラ・モラハラのない社会へのささやかな一石を投じるために、療養しながら書いています。

「コスパ野郎はクズ野郎」

 
とても共感します。「今だけ金だけ自分だけ」とのコメントがありますが本当にそうだと思います。

7:57~ 日本の病理について語っている 「けつ舐め官僚」「ポジション取りの為に周りに組織に合わせる」
13:00~「損得による忖度 自分のポジションを保つためにやってる それは優しさでもなんでもなくて完全にセルフィッシュなものでしょ それに対して本当の優しさっていうのは 愛や正しさのために法を破ったり場合によってはね  自分に不利益なこともやることなんです」
 
まさにブリヂストン吉田保証課長を思い出して、そのあたり以降見れなくなりました。読書中にもまさに言い得た文章を読んだ時にこの類のフラッシュバックが起きて、最後まで読めなくなることが多いです。私の思いを代わりに明晰に端的に言ってくれる人に救われると同時に動悸がするというジレンマがあります。
 
「今だけ金だけ自分だけ」のコスパ野郎とは、知性がないということだと思います。知能とは別のものです。これがないと、他のものがいくら揃っていても終わってると思います。それが肝心要だからです。
 
私はこの動画を途中まで見て、思い出はコスパとは別のところでできると自分が感じてきたことを、知識人に論理立てしてもらって再確認しました。
 
赤字系の施設という記事に「飲食店に行く時も、大盛況の店と、完全に客をとられている隣の店だと後者の方に行きます。そっちの方が思い出に残るからです。客が少なくて、入るとお店の人はとても喜んで丁寧に応対しもてなします。入った瞬間後悔することもありますが、だいたいはいい体験になります。」と書きましたが、思い出に残るのは列強じゃない所に入った時が多いです。
 
ちょっと前に、隣町の地元民が昔からやっている家具屋に入りました。店主に何を探してると訊かれ照明を探していると答えると、「昔はたくさん置いてたんだけどね、今もうニトリとかナフコとか、量販店ばかりできて、少ししか置いてない」「昔は天井にたくさん吊るして賑やかしかったけどね」と寂しく残念そうに言われました。私も大型量販店に行っていたから、こういう商店を倒産に追いやっていたことに気づきました。
 
そして手ぶらで帰ることができずに、ずっと窓際に置かれて日焼けした木製椅子を買って行きました。おじちゃんが値引きしてくれました。
 
コスパ的な考えでは、買うつもりのなかった物を買って家に持って帰って、コスパ最悪となります。椅子は要らなかったんです。流行の断捨離の考えにもそぐわない行動です。でもこの経験は忘れられない思い出になりました。
 
その椅子を私の家に迎え入れたことで、あのおじちゃんの商店の存在も迎え入れることになりました。そのことは私の生活を豊かにしていると思います。
 
コスパ野郎はクズ野郎」に共感します。かつ、私のようなお金に余裕がない経済的弱者は、非常にシビアな判断をする立場にいるというのもあります。持たざる者は、哀しいことに、究極のコスパ計算をする者にもなります。(参照:ピアノ屋で出会った芸術家
 
私は国民年金で免除期間だったものを、延滞加算金を上乗せして追納したのですが、免除されていたものを追納しても、受け取る時の額がそれに見合う程違うかと言えばそうではないことを知りました。年金事務所のおじちゃんがはじき出した差額を見て「ひと月?」「1年」「え?」というやりとりがありました。まとまったお金を出して追納したのに、しなくてもそんなに変わらない、コスパ的には損となります。また年金は何歳まで生きれば元を取るのかという疑問もあり、以前計算してみました。年金事務所の人にその結果を言うと、「そうなのよ…それは言っちゃだめヨ」という感じの顔をされました。本来年金は相互扶助の考えによる制度です。ですが経済的弱者としては、追納しかも延滞金つきなんてするんじゃなかった… と思いました。
 
そういうシビアな考えをする立場にいる私ですが、思い出はコスパとは別のところでできるということを、これからも書いていきます。