ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。セクハラ・パワハラ・モラハラのない社会へのささやかな一石を投じるために、療養しながら書いています。

中島幸子さんの講演会

先日、性暴力の被害者で、現在講演・出版・支援活動をしている女性のすばらしい講演会に参加しました。元被害者女性のすばらしい講演会←この方とは別の方です。今回の講師は、被害から十何年も経っているけれど今でも症状に苦しみ治療をしながら支援活動をされています。

聡明でどこまでも優しくてきれいで社会的使命感の強い本当に魅力的な方でした。上の記事の女性もでしたが。隣で声を出して表情豊かに頷き聴いている人に比べて、現在症状の真っ只中にいる私は、無表情で生気ない顔で聴いていたので、私が彼女に対してこう思っていることは伝わってないと思います。ちょっと後ろを振り向いた時に、無表情で元気なく聴いている女性達もかなりいて、重症の被害仲間かなと思いました。

それとその講師は、席についた私を見た瞬間、被害当事者だと悟ったような顔をされました。気のせいかも知れないけど、元被害者女性のすばらしい講演会の講師もそんな顔をされました。たくさんの被害者に出会ってきて、顔をみたらわかるのかも知れません。

彼女には発達障害があるそうです。しかも私とかぶって自閉症spでした。

彼女は、障害という言い方はふさわしくないと考え、凸凹と呼んでいました。私も、このブログで障がいと書いていますが、かなり抵抗がありつつそう書いていました。「がい」をひらがなにしたところで、腑には落ちない… 今後は凸凹とか偏りとか呼ぶようにします。上司であった吉田課長は私を病気と呼び、とても嫌な気持ちでした。

彼女は私とかぶる特性をもって幼少期から生きてきた人でした。エピソードが、すごくわかるから面白かったです。今となってはこの分野で第一線を行っている大きな存在の彼女には頭が上がりませんが、私たちはいい友達になれるような気がしました。

例えば、なにかをする最初がとてもできないのです。色んな刺激が強すぎてです。でもパターンが見えたら、とてもできるようになることがあります。群を抜いてできないから、群を抜いてできるに変わることもあります。だから、最初だけで短絡的に判断する人とは相性が合いません。予断と偏見の強い人とも合いません。つまりネガティブケイパビリティがない器が小さい人とは合いません。

発達障害」は、奏でるのに演奏者を選ぶ楽器に例えられます。底の浅い演奏者が弾くとひどい音がして、いい演奏者が弾くと奇跡的な音がします。

今彼女は、団体の共同代表の女性や一緒に活動をしている仲間、同志といった上質な人達に囲まれて、唯一無二の音を奏でているように見えます。

でも私は精神を負傷しているので無表情で聴いてました。

 

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