ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。セクハラ・パワハラ・モラハラのない社会へのささやかな一石を投じるために、療養しながら書いています。

タコツボの中で盲目になった人達

その組織で蔓延している考え方にずっと最適化している人達は、それが外では通用しないということがわかりません。

かれらは、それを非常識だと気づかずに、非常識な言動を繰り返します。他者感覚がないのです。

下の論文は、まさにブリヂストンの陥っている状態を論じています。

私たちは、ブリヂストンがまさにタコツボ化に陥っていることを目の当たりにしています。

その中で出世するために歪みきった世界に最適化して、盲目になって、善悪の区別もつかない哀しいまでに凡庸な人達を。

 

    

 

私は、学歴は、その人の知性に関係がないことを、痛烈に感じました。

かれらは、私の小2の子どもでもわかるような、善悪の区別がつかない人達です。

知性がないと、タコツボの中でずっと最適化して、その中でしか物が見れなくなってしまいます。

知性があれば、そのような状況にはなりません。そのようなツボに対して距離をとって外から眺め続けるからです。

それをしない人達は、「一歩引いてる感」「選択」「落ち着き」「自覚」「制御」といった距離感がなく、

あるのは、人間とはおよそ認めにくい、動物的反射的な損得勘定それだけです。

そしてかれらはそのことに気づいていないように見える。 .. . You are real damn fool..  .

歪んだツボの中で損得で立ち回り続けると、小2でもわかることがわからなくなる… 

 

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丸山眞男の『日本の思想』(1961)

3章 思想のあり方について

近代市民社会が発達するに従って機能集団が多元的に分化してくる、ということは、これは世界的な傾向であります。(中略)
ただ、日本の特殊性はどこにあるかというと、ヨーロッパですとこういう分化が起こっても、他方においてはそれとは別の次元で人間をつなぐ伝統的な集団や組織というものがあります。たとえば教会、あるいはクラブとかサロンとかいったものが伝統的に大きな力をもっていて、これが異なった職能に従事する人々を横断的に結びつけ、その間のコミュニケーションの通路になっているわけです。ところが、日本ではそういった役割をするものが乏しく、したがって民間の自主的なコミュニケーションのルートがはなはだ貧しい。

こういうふうに各組織体がみんなタコツボ化しますと、その組織体は、それに属するメンバーというものを、まるごと飲み込んでしまう。(中略)

こういうふうになりますと、当然ウチ同士だけで通用するいろんな価値基準なり言葉というものが発生し、そこから集団内部の言葉の隠語化がおこってくる。つまり「アウツ」に対して「インズ」の了解事項が集団の下層に沈殿してきますと、お互いの間同士ではそんなことは当然でいまさら議論の余地がないと思われることが、だんだん多くなってくる。

その組織なら組織の中で通用している言葉なり、外部の状況についてのイメージなりが、組織の外でどれだけ通用するかということについての反省が欠けがちになる。」    「他者感覚の無さ」

 

(関連:「怒りを遷さず」   凡庸なる悪

 

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