ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。セクハラ・パワハラ・モラハラのない社会へのささやかな一石を投じるために、療養しながら書いています。

独りから団結へ

仲間のみなさま、ありがとうございます。
   

 
仲間とは、私と一緒に闘ってくださっている方達のことです。聡明な人達で
 
私は上手に伝えることができないけど、1言えば10理解してくださる人達です。10?100だよ と聴こえてきそう^^

 

「悪の方が善より強い」 何度、そう思ったことか…

 モラハラ研究の第一人者マリー・イルゴイエンヌも書いてました。

悪意をもつ者が、それをもたない者に勝つのが構造的摂理だって。その通りです。

良心や他者への共感や社会への知性をもたない自己中心性(サイコパシー)をもった人物が、あらゆる競争に有利なのです。

これは、はなから自明のことです。

自分さえよければそれでいい人  真っ先に、ブリヂストンの吉〇保証課長が浮かびますが、こういう人は、最も人の上に立ってはならない人ですが、その想像を絶する自己中心性や無責任さやその場その場で言うことやることの自在な七変化(自分の軸がないからできる)のおかげで、上位にのし上がって行きます。

最もふさわしくない人が、人の上に立つのです。どこかの国の首相、大臣然り…

 

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(以下、抜粋記事)

悪貨は良貨を駆逐する。手段を選ばず卑怯な手を使う悪は本質的に競争優位で強い。

正義は弱いのだ。正義が悪に打ち勝つには単独では無理で、団結・連帯する必要がある。

欧米が公正な社会の構築にある程度成功しているのは彼らに団結力があるからだ。メディアも政府に不当に扱われたら同業他社が団結して政府を非難する。日本では逆にメディアが政府に同調してジャーナリストを非難する始末。

日本は悪が多数派な為に善悪の価値観が逆転しつつある。悪が肯定され、善が批判される。多くの日本人は善悪の区別すら付かない。

いつも他人の顔色をうかがっているだけだ。放っておくと社会は悪に支配される。

正義の達成は困難だ。生きるのは厄介であるから生まれて来ない方が良い 2018年8月11日 by 

 

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単独では無理でも、団結・連帯すれば勝てる。

1人では、いくら真っ当なことを言っても、始終おかしなことを言っている人に負かされる。良識の欠如あるいは皆無に近い人が人の上に立つ傾向が、日本では非常に顕著であることがそれに拍車をかけている。ブリヂストン吉田保証課長、澤田労務CSR推進課長がまさにそうでした。

でも、団結すれば、違います。

 

私のような自閉症spには、1+2=3 の論理が、独りで言うのと複数で言うのとで

相手の応対が変わるというのが、どうしても理解しにくいことなのです。

私にとって論理や道理とは、相手が独りとか複数とかで、変わるはずのないものだからです。

この彼もそう言うでしょう。太陽が東から出て西に沈むという理が、言う人の人数で変わるなんて、バカらしすぎる。

でも、哀しいことに、日本ではそれが当たり前…  相手の勢力で対応が変わるというのは、本当に不潔だと思います。

彼は、紙とペンを持ち歩いて数式を書き続け、美しいとか美しくないとか言ってました。

美しくない解答をするくらいなら、時間切れで白紙で出して×の方がいいとぼさぼさ頭で言ってました。

身なりには無頓着でも、その美意識は洗練されていました。でも、というよりそういう人程、そんな気がします。

同じ内容のことを言っても、言う人数で出方が変わるというのは、非常に醜いと思いますが

それが世の「摂理」なので、団結・連帯が絶対に必要なのです。

逆に言えば、いくら正しくても真っ当でも独りなら負ける そういう醜い世界で回っています。

 

  人とつるむのが嫌いな私が言うのだから、真理もひとしおです。

 

#独りから団結へ  #サイコパシー  #善悪の価値観が逆転  #善悪の区別すら付かない